僕もプロになるっていう、言葉、表現に憧れました。ゆっくりできない?とかお金が安定しない?とか全く心配もしませんでした。僕の場合は、音楽意外に興味が無かった?

でも最初は、日本で大学に入りました。(親を安心させるため&何でもやればできる根性)。当時調べたら、ロシア語で将来貿易関係の仕事をやれば一番給料が良いということを知って、そしたらギターも趣味、セミプロみたいな感じでゆっくり楽しめて良いな、と思いました。なので大学ではロシア語を取って、将来は貿易関係の仕事をやろうと思っていました。でも、正直に自分のやりたいことを1年間考えた末、やはり音楽は捨てられない。

で、当時、京都大学におられた、ベースの納浩一さんがバークリー音楽大学の奨学金を得て、行く事を耳に。当時面識はなかったですが、実行=とにかく納さんを探しに。噂では、京大でウッドベースを練習。とにかくお会いして色々お聞きしたいと思いました。京大に行って、納さんが真剣に練習しているところに僕が「あの、質問があるんですけど」ってしつこいので、最初すごく嫌がられました(笑)でも僕のしつこい情熱に納さん負けて、色々と説明して頂きました。それをすべてすぐにやりました。最後に納さんのバンドを借りて奨学金デモ作りました。これもちょうどスタジオ(練習)の時にレコーデイングもできるということで。

でバークリーにテープ送り、英語を勉強し始めました。ラッキーに奨学金を得ました。最初僕は2年間バークリーに行って、また日本に戻ってきて、日本で大学も卒業して日本で就職できたら良いな、と思っていました。その考えを納さんに言ったら、納さんが「俺は奨学金をもらった時すでに大学3年だったからあと1年通って大学を卒業するけど、俺がもし大学1年の時に奨学金をもらってたら、大学辞めてた」と。結局僕は、親を説得、大学辞める。
そこから2年間、山口武さんのもとでジャズギターを学びつつ、色々バイトをしてお金を貯めました。納さんがバークリーに行かれてからも、僕は日本でお金を貯めつつ、納さんに手紙を送って、聞きたい情報を色々お聞きしました。今と違って、手紙を送ってから返事が返ってくるまでに2週間くらいかかりました。なので返事を読み返してもっと聞きたいことがあっても、また絶対2週間かかるんです。でもこのリミット(今ではすぐにメールとかネットでできますが、当時は手紙なのでどんなにがんばってもそれだけ時間がかかりました)が良かったです。

あと今思うとすぐにバークリー行かなくて良かったです。外国に行ったからうまくなる、何か凄い結果が出ると思わない事。どこに行っても同じ人もいます。本人の目標、何がどのようにしたいか?はっきり持ってないと4年ぐらいは,さーっと終わってしまいます。留学について誰かに頼って、簡単に情報を集めると、本当の情報が分からない気がします。自分で、出来る限り、資料集め、各学校へ直接、電話、メールの質問攻め(自分の知りたい事)やってみることが大事です。他人よりも努力すること、努力を惜しまない事が成功の第一歩だと思います。今でも世界中からバークリーの入学の質問が来ますが、、ます自分が知りたい質問の前に、自己紹介しっかりできない人はだめだと思います。でもその中でもしっかり自己紹介ができて凄く丁寧に質問してくる方もいます。それはその丁寧さ、準備、努力がうかがえて僕も助けたくなります。僕が納さんに伝わった僕の音楽に対する情熱ですね。